皆さんは、勉強は好きでしょうか?今回は勉強することの本当の重要性について考えました。

日本人なら誰でも小学校で勉強を教わり、高校や大学を卒業するまで色々なことを学んできたかと思います。

しかし、勉強というのは時には辛い、とかマイナスのイメージを抱きがちです。

  • 勉強した知識なんて社会に出ても使わないでしょ
  • 勉強は大事なのは知っているけどなんで必要かはわからない
  • 大学受験に関係する科目だけでよくない?

そのように考える人もいると思いますし、僕も実際に学生時代はそうでした。

勉強をしたくない理由。その一つに、なんで勉強をするべきなのかを知らない所にあると感じています。

今から書くのは僕の実体験に基づいて書かれています。そこで学ぶことの大切さを感じることになるのですが、先ほどのように感じている方にこそ読んでもらいたい内容となっています。

最後まで読んでいただければ学ぶことに対して価値観が変わることになると思いますし、苦手な勉強に対してもモチベーションが上がるはずです。

とある繁華街での不良たちのやりとりを聞いて

先日、近くの繁華街を通り過ぎようと歩いていた時です。

二人の不良っぽい若者の男性の話し声が聞こえてきました。

二人とも酔っているのでしょう、少し怒鳴る感じで話していました。話の内容は忘れてしまいましたが、言い争っていました。

そこで一人が相手を挑発したのですが、それを聞いてもう一人が言いました。

「カッチーン、怒りで沸点が上がっちまったわ…!!」

なんて!?なんとなく意味は通じそうですが

(沸点が上がったら沸騰しないのでは?)

(それをいうなら怒りが沸点に到達したとかだろ!)

(逆に冷静になっちゃうじゃん!)

とっさにそう考えてしまい、笑いが堪えられなくなってしまって、すれ違う時にちょっとニヤニヤしてしまいました。笑

ちなみに相手は全然気づかずにお互いボルテージが上がっていました。

日本では常識のハードルが高い

これは一つの例にすぎませんが、何が言いたいかというと

日本では最低限の教養はほとんどの人は知っているはずという前提であるということです。

大多数の人が知っていること」は常識となってしまうのです。

日本は全ての子供が義務教育を受けれるので、途上国と比較するとこの常識のハードルは上がります。

マナーもそうですが、マナーができてない人は「恥ずかしい人」とレッテルを貼られてしまいます

つまり常識を知らないことは恥ずかしいことなのです。

マナーを知らないことが恥ずかしい訳ではないです。

マナーが常識だからその常識を知らないことが恥ずかしいのです。

恥ずかしい思いをする人はまだマシ。本当に怖いこと

常識や教養はみんなが知っていると思われる事柄です。

したがって、恥ずかしい思いをしないように最低限の勉強をすればいいじゃんと思う方もいると思います。

しかし、あくまでそれは入り口にすぎないと思っています。

本当に怖いのは、勉強をほとんどしていない人にとって知らないことを恥ずかしいとすら思えないということです。

「常識を知らないことは恥ずかしいこと」というのも一つの知識だと思うので。

究極、勉強が大事かどうかは勉強をしていない人には判断できないのです。

ちゃんと勉強をした上で「勉強はしなくてもよかった」と判断する人はそれでもいいと思います。

王貞治の名言に学ぶ教訓・努力について

これも僕の学生時代の経験ですが、僕は部活は1年中居残り練習をしていました。部内に何人か意識の高いメンバーがいたので夏の大会でいい成績を残すために頑張ってました。

他のほとんどの部員は勉強や実習もありますからあまり自主練はしません。

しかし、大会の2週間前くらいになると自主練を始めるのです。

当然その期間真面目に取り組んだところでいい成績を残せるわけもないのですが

少し頑張っていた部員は反省会で必ず「自主練残って努力したのに勝てませんでした」と大粒の涙を流すのです。

実力というのはそうそう簡単には上がりません。いつも居残り練習をしていた僕たちでさえ、何ヶ月もかけて少しコツを掴んだきたかな?と感じる程度です。

努力は必ず報われる。もし報われない努力があるならば、それはまだ努力とは言えない。

王貞治

日本プロ野球の歴代本塁打数の圧倒的1位の王貞治の残した言葉ですが、僕は本当にこの通りだと思います。

努力をしたことがない人が「努力しても報われないよ」と言うのかなと思います。

勉強も同じで、勉強をしない人の方が勉強の必要性をわかっているかのように語る傾向にあるなあと思います。

まとめ

今回は勉強することの重要性について書きました。

僕が思うに、勉強することが大事なのではなく

勉強をすることで、何が大事なのかがわかるようになるということです。

「教養がある」ことは大切です。ですが、それ以上に「教養が必要である、ということを知っている」ことが大切なのではないでしょうか?

今、勉強がめんどくさいと感じていたり、勉強する意義を見失っている方は

自分にとって必要かどうかを判断するには、まずは学ぶしかない。今は必要ないと思っているけど、それは自分に判断する知識がないからじゃないか?

このように考えて見ると、まずは勉強してみるか!となるんじゃないでしょうか?